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2007年11月05日

日本の郡の歴史

何気なく目に付くけど、本当に歴史深くすばらしいものなんですね。

古代
古代の郡は、律令制の行政区画で、国(=令制国)の下に置かれた。『日本書紀』は、大化の改新の時に郡(こおり)が成立したと記すが、当時は実際には評(こおり)と書いていた。大宝律令の成立の時に郡となり、かつての国造などが郡司となって管轄した。郡には郡衙が置かれ、班田や徴税の管理に重要な任務を果たし、律令制度下の中央集権的行政の末端に位置した。延喜式では591郡が在ったとされる。単位系では、郡の下に郷、郷の下に里が置かれた。

しかし10世紀には、筆頭国司である受領の権力強化などにより、郡の機能は低下し始めた。11世紀には、荘園が一円領域化して国衙の支配から自立し、郡の管轄からも外れて行った。国衙の側も残された公領を再編成し、下部に郷を組織した郡から国衙に直結した、郡、郷、保、院、条、別名などの並立体制となった。これに伴い、旧来の在地豪族の系譜を引く郡司層は急速に没落した。没落した郡司層の多くが国衙に近侍し、在庁官人となった。在庁官人には他に受領が引き連れてきた実務官僚などが加わり、新たに再編された郡司、郷司、保司などの管理者として任命された。また、受領自体が任期中に私領を獲得したり、在地豪族に入婿したりして土着化し、子弟が在庁官人化するケースも見られる。やがてこれら在庁官人は武士化していった。


中世・近世
鎌倉時代になると、国内に並列する荘園、郡、郷、保などは、管理者である荘司、郡司、郷司、保司らの多くが御家人となり、地頭に任命され、武士たちの基礎的な領地の単位となった。

戦国時代には、大名の領国に対する支配強化の一環として、郡単位での支配郡ごとに郡代がおかれるようになった。江戸時代にも、各藩と江戸幕府は、郡を地方統治の単位として用いた。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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